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]]>懐かしい~!!
結婚式は色々手作りをして、リングピローも二人の思い出の品を使って作りました。
今でも飾ってあります。
もうすぐ四半世紀・・・
時代によって、花嫁衣装も変わっていくんですね
きもの文化検定公式教本1の173~174頁の内容を簡単にまとめました。
・男女とも早婚。
・婿入り婚。
・花嫁衣装:小袿姿
濃紫袴+白小袖+二陪(ふたえ)織物の小袿
色目は、濃蘇芳、葡萄(えび)、松重(まつがさね)など。
★公家の結婚の形態
男性が女性の元へ二夜通って契りを結び、三日目に通ってきたら「三日夜(みかよ)餅の儀」と盃事を行って正式に夫婦となった。
・男女とも衣服が簡略化。
・嫁入り婚に変わる。
・白装束
・刺繍や金銀糸の加工の発達(中国からの技術導入)
・婚礼衣装:室町時代の風習を踏襲。打掛は着ず、小袖+細帯。
・祝宴は4日間。
・宮中では「唐衣・裳姿(十二単)」復活。びん出しのおすべらかし。
・白装束の打掛姿に被衣(かつぎ)を被る。
→中期以後、被衣は綿帽子になる。
→元禄頃に役者が始めた揚帽子(角隠し)が流行し、花嫁の被りものになる。
・一日で結婚式と披露宴を行うようになる。
・江戸末期:
胸元の懐紙 → 七つ道具を入れる「筥迫(はこせこ)」
黒や赤の打掛。
外側から順に黒・紅・白の小袖を三枚襲にして着用する装い。
(裕福な階層の特別なもの)
・黒・赤・白の三枚重ねの花嫁衣装(←白装束に反発する気風)
・黒振袖の裾模様 + 丸帯 + 島田髷に角隠し
・戦争前後には衣装簡略化され、黒留袖+洋髪という時代もあった。
・昭和30年頃から、打掛が復活。
・最近は白の打掛のほか、赤、朱など様々な色がある。
[きもの文化検定5・4級]
結婚式についての説明で誤っているものは?
(1)江戸時代から結婚は嫁入り婚に変わっていく。
(2)江戸時代中期以後、花嫁は白い打掛に綿帽子姿になる。
(3)黒留袖は新郎新婦の親族並びに仲人夫人の着る第一礼装である。
(4)平安時代の公家は男性が三日間女性の元に通って来たら「三日夜餅の儀」と言って盃事を行った。
◆解答:(1)
◆解説
室町時代から、婚礼は嫁入り婚に変わっていく。
[きもの文化検定3級]
婚礼に関する記述で、正しいものは?
(1)江戸時代中期には裾模様の黒振袖に丸帯、頭には角隠しをするようになった。
(2)室町時代には小袖、間着、打掛、被衣の全てを白にする花嫁衣装が生まれた。
(3)花嫁姿で打掛を着始めたのは、戦後の高度経済成長期の頃。
(4)江戸時代の公家の花嫁は十二単に、被衣や綿帽子を着用した。
◆解答 (2)
[きもの文化検定2級]
江戸時代の花嫁は白装束の( ア )に被衣を被ったが、中期以後は( イ )を被った。また元禄時代ごろに役者が被り始めた揚げ帽子、別名( ウ )が、やがて花嫁の被りものになった。
◆解答
(ア)打掛
(イ)綿帽子
(ウ)角隠し
〈打掛〉
小袖の上にもう一枚小袖を「打ち掛けた」ことから、この名がついた。
現在では婚礼衣装に残っている。
〈掻取(かいどり)〉
歩くのにきものの褄、裾をからげることから出た言葉。
江戸時代に、武家の婦女が用いた正装のことで、打掛ともいわれるが、公家社会では掻取という。
掻取姿とは打掛の褄を掻取って対丈に揚げをしたような形になること。
[きもの文化検定3級]
室町時代、女性がフォーマルな席で小袖の上に着用したものは?
(1)唐衣
(2)打掛
(3)裳
(4)袍
◆解答:(2)打掛
◆参照 公式教本2 126頁
[きもの文化検定2級]
江戸時代、公家女性が「搔取」と呼ぶものを武家の女性は別の名で呼んでいたが、その名称は?
◆解答:打掛
◆参照 公式教本2 126頁
[きもの文化検定1級]
江戸時代の公家女性が着た打掛様式のものの名称は?
◆解答:掻取(かいどり)
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]]>The post 悉皆(しっかい) first appeared on 着物の世界を旅する勉強サイト.
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]]>悉皆(しっかい)とは、「一つ残らずことごとく」という意味。
自分の寸法や年齢に合わせた色柄で一から染める。
白生地の地紋を選んだり、きものの色柄を決めたりする。
悉皆屋は白生地に「墨打ち」をほどこしてから、染屋に注文を出す。
[きもの文化検定2級]
白生地から誂染をする場合、生地に袖や身頃の位置や長さを示す( )をしてから染屋に出す。
(1)墨出し
(2)墨付け
(3)墨打ち
◆解答
(3)墨打ち
◆参照
公式教本2 179頁
◆解説
「墨出し」は工事中に床や壁に必要な線を書くこと。
「墨付け」は工事の時に材木などに印をつけること。
洗い張り、染め替え、リフォームなどを行う場合はきものをほどく。
ほどく前に、表地、八掛(裾回し)、胴裏に「渋札(しぶふだ)」を付け、お客様の名前や日付、着物の種類などを記入して管理。
ほどいた布地は、表地、八掛、胴裏ごとに端縫い(はぬい)をして一枚につなげる。
・水洗い
洗剤をつけて刷毛などでこすり洗いをする。
・揮発洗い
水ではなく揮発性のある溶剤で洗う。
絞りの生地、色落ちするものに向く。
・丸洗い
きものをほどかずに洗う。
水を使わず石油系の溶剤を用いて機械で洗う。
ドライクリーニングのようなもの。
・部分洗い
汗で汚れた袖口や衿、泥で汚れた裾などを中心に洗う。
・染め直し=染め替え
一般的にはきものの地色を替えることで、小紋の柄を替えたり、自由自在。
表地と八掛の「色抜き」をして、生地を白くしてから染める。
地色を濃くするときは、色抜きが不要の場合もある。
・色無地→色無地:一般的には淡い地色から濃い地色へ
・色無地→訪問着:色抜きして白生地に戻してから染め直す
・色無地→小紋:地色を変えずに模様を加える or 白生地に戻して新たな小紋柄にする
・小紋→小紋:色抜きして新たに別模様を染める or 現状のまま吹雪加工やぼかし加工
・地色替え
もとの柄を活かして地色だけを違う柄にすること。
染料が染み込まないように、模様の部分に糊を置いて染め直すため、絵羽に箔や刺繍があっても大丈夫。
・目引き染め
模様も含めて全体に地色をかけること。
・模様、刺繍、箔を足す
ちょうど良い所に模様が無い場合や、シミや汚れの落ちない部分に模様を足す。
[きもの文化検定3級]
染め直しとは染め替えともいい、一般的にはきものの( ア )を替えることをいう。
これに対して、もとの柄を生かして地色だけ違う色にすることを( イ )という。
(1)ア:地色 イ:洗染
(2)ア:地色 イ:地色替え
(3)ア:柄 イ:別染め
(4)ア:柄 イ:注染
◆解答
(2)
水をくぐった生地が縮まないようにシワを伸ばしてから乾燥させる。乾かしながら刷毛で糊を塗り艶を出す。
・板張り:板につけて乾かす
・伸子張り(しんしばり):弓型の竹ヒゴを使う
「張り」の後、湯のしをして幅を出し、アイロンをかけて地のしをする。
仕立てをして完成。
[きもの文化検定3級]
洗い張りの工程で最後に行う工程は?
(1)端縫い
(2)洗い
(3)解き
(4)湯のし
◆解答
(4)湯のし
[きもの文化検定3級]
きものをほどいて染め直し、仕立て直しする場合は、
①きものの解き端縫い加工
②色抜き加工
③胴裏の洗い張り加工
④染め加工
⑤表地と八掛の洗張り加工
⑥( )加工
以上、最低6つの工程がある。
(1)仕立
(2)刺繍
(3)金彩
(4)砧打ち
◆解答(1)仕立
[きもの文化検定1級]
古いきものの部位を替えたり、あるいは座布団にしたりするなどリフォームすることを何というか?
◆解答:繰り回し
[きもの文化検定1級]
仕立て上がりの付下げを総柄の小紋に染めかえる場合の加工工程を100字以内で説明せよ。
◆解答
きものを解いて端縫いを行い、反物の状態にし、洗い、シミ抜きで汚れを落とします。
色抜きをして白生地の状態に戻し、小紋染めを行います。
整理(張り、湯のし)を行い、再び仕立てます。
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]]>The post 判じ物 ~現代のアイドルグッズ~ first appeared on 着物の世界を旅する勉強サイト.
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]]>江戸幕府が始まる頃(1603年)、出雲阿国(いずものおくに)という女性を中心としたグループが
「かぶき踊り」を京都で興行したことが「歌舞伎」の始まりといわれています。
屋外で庶民を対象にしていたことや、当時としてはポップな踊りを披露していたことが、様々な資料から推測されます。
現代に例えるとAKB48のようなアイドルグループに近いものだったのではないかと考えられています。
まもなく江戸でも披露され、両方が競い合うように歌舞伎小屋を建てたようです。
歌舞伎の名場面や役者の浮世絵は大人気。
江戸土産にも軽くて華やかなので、飛ぶように売れたようです。
そして、元禄時代以降、歌舞伎役者が着ていた刺激的な文様は、当時の流行の最先端となり、
多くのはやり文様は歌舞伎から生まれました。
江戸時代の歌舞伎役者はファッションリーダーでもあったわけで、
役者同士も人気を高めようと
着物の柄、たばこ入れなどの持ち物、
そして、日頃の仕種までを常に気を配っていたようです。
江戸時代には、いわゆるクイズみたいな看板や文字表現が結構ありました。
そういったものを総じて、「判じ物(はんじもの)」と呼ばれています。
江戸時代の識字率の低さもあって、絵や形で表現したのがベースにあるようです。
6本筋の格子のなかに「中」と「ら」を入れて「中六ら(中村)」と読ませる。
中村勘三郎好みの浴衣文様。
横1本と縦6本の格子の間に「ら」の文字を入れ、「一六ら(いちむら→市村)」と読ませる。
江戸時代の歌舞伎俳優、十二代目・市村羽左衛門(うざえもん)が好んで使った。
格子の筋が部分的に欠けている「破れ市村格子」という変種もある。
立て4本、横5本の格子縞の中に「キ」と「呂」を置いて「キ九五呂(菊五郎)」と読ませる。
三代目尾上菊五郎が「義経千本桜」で着てから人気になった柄。
4本筋の間に鐶(わ)繋ぎを入れて「四鐶(芝翫)」と読ませる。
ちなみに「鐶」は箪笥の取っ手などの金具。
「かまわぬ」模様は、「水火も厭わず身を捨てて弱き者を助ける」「怖いものなんてないぞ」「どんなこともお構い無しだ」という江戸っ子の心意気として、江戸前期に町奴の衣装として好まれた模様。
それを七代目市川団十郎が魚屋団七の浴衣に使ったところ、話題となり、再び江戸の町に大流行。
寿曽我対面(ことぶき そがのたいめん)で曽我五郎・市川團十郎の 「かまわぬ」に対して、市川男女蔵(おめぞう)が「かまいます」の柄を襦袢に作り、二人で暴れ肌脱ぎに なる振りが大評判になった。
「よきことを聞く」の縁起を担いだ模様。
三代目尾上菊五郎が従来の判じ物に着目し、「聞く」に自分の名前「菊」をあてている。
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]]>The post 八掛の裁断図 first appeared on 着物の世界を旅する勉強サイト.
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]]>祖母のお着物を洗い張りに出した際、ついでに八掛を替えていただくことがあります。
薄いグリーンの色大島には、
ほとんど同じ色の八掛だったのですが、
思い切ってエメラルドグリーンにしたところ、
良いアクセントになってお気に入りです♪
あと、紺色の結城紬に朱色の八掛を
なんとかしたいと思いながら冬が終わってしまいました。
あ~、来年の冬には着られるように替えたいです!
袷の着物の裾の裏につける布です。
裾回しともいいます。
前後の身頃の裾裏に4枚、
衽の裏に2枚、
衿先の裏側に2枚
合計8枚掛けることから、「八掛」といいます。
八掛は本来八つのパーツに分けられていたため、この名前がついたのですが
現在では「袖口」に使うパーツが加わって、全部で10枚となります。
それぞれのパーツが各二枚ずつあるのも同じく左右に使われるためです。
・前身頃の裏 左右
・後ろ身頃の裏 左右
・衽裏 左右
・衿先布 左右
・袖口布 左右
この八掛に使用する生地は一般的に、幅約37cm、長さ約4mと、着尺に比べると
およそ1/3程度の長さとなっています。
[きもの文化検定3級]
八掛(裾廻し)は、何枚の布に裁断するか?
(1)6枚
(2)8枚
(3)10枚
(4)12枚
◆解答 : (3)10枚
◆参照 公式教本2 156・171頁
八掛には大きく分けて4種類あります。
1)無地八掛 2)ぼかし八掛 3)共八掛 4)柄八掛
一番オーソドックスな八掛で「共八掛」以外すべての着物に使えます。
付け下げや色無地などは着物と同色かそれに近い色にします。
紬や小紋などは年代や着られる方の雰囲気に合わせて色選びをします。
無地八掛が基本ですが、着物の地色が白または薄い色の場合、裏の八掛の色がうつる事があります。
その場合はボカシ染の八掛を使います。
はおもに訪問着、留袖、色留の場合です。
これらの着物は表地と同じ生地で、表と同じように染められ柄がつきます。
柄のつけ方など基本的な法則が決まっています。
全体に小紋が染められていたら、上前になる部分だけにワンポイントで花柄などがあるものがあります。
どんなものにもつけられますが、ワンポイントは付け下げや色無地など、小紋は紬や飛柄の着物、色無地などに使います。
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]]>The post 裃(かみしも)は現代のスーツ! first appeared on 着物の世界を旅する勉強サイト.
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]]>・上半身にまとう上衣
・下半身の袴(はかま)
について、
その生地・色・柄が同じもの、
すなわち、今で言う「スーツ」の意味。
上(肩衣)と下(袴)を一揃いの物として作る衣服であることが命名の起源。
肩衣袴(かたぎぬばかま)だけでなく、直垂(ひたたれ)や素襖(すおう)などにも上下の着装があった。
しかし、江戸時代には日常的に上下で着用する衣服が、事実上は肩衣袴だけになってしまったため、裃は肩衣袴を指す言葉となる。
裃は「肩衣」(かたぎぬ)という上半身に着る袖の無い上衣と、「袴」の組合せで成り立ち、それらを小袖の上から着る。
肩衣の背と両胸、袴の腰板の四か所に紋を入れている。
・肩衣は、素襖と同じく襟を斜めに重ねて着装。
・素襖に準じた紋の据え方で、計6個
(1)背紋
(2)両胸
(2)袴の合引(あいびき:両脇の前後を縫い合わせた部分)
(1)背面の腰板
・肩衣の襟は、平行に袴に差し入れる。
・素襖に準じていた紋の据え方も、袴の合引の紋を省略し、計4個となる。
[きもの文化検定1級]
近代以降、裃に紋はいくつ付いているか?
◆解答 : 4個
・肩幅が広がり、鯨のひげを入れて肩先を強く張らせたり、糊を強くする。
裃に代えて羽織袴を平常服とすることになり、慶応3年(1867年)の大政奉還以後、公人が裃を着用することは廃され、男性の礼装は紋付・羽織袴となる。
伝統芸能や祭礼などの民間の諸行事においては現在でも用いられている。
江戸時代になると、肩衣袴は、肩の張りが強くなり、小紋の柄も細密になって、武家の威儀を整えていく。
・肩衣+長袴
・お目見え以上の直垂、大紋に準じる礼装。・半裃よりさらに鄭重な礼装。
・裃の袴を、通常のもの(半裃)の1.5倍程度に丈を伸ばし、足を出さずに穿いて裾を引くようにしたもの。
なお歌舞伎の舞台衣装などに用いられる際は、袴の丈が見栄えの点から2倍ほどもあるものが使われる。
・肩衣+切袴
・長裃に対して、袴が通常の丈であることが名前の由来。
・お目見え以上の公服。
・下級武士や町人には礼装としても用いられた。
・肩衣+袴 → 色柄の違う組合せのもの
・袴は半裃と同様、通常の丈
・当初、平服であったが、江戸後期には使用範囲拡大して、公服としても用いられるようになった。
半裃よりさらに略式の礼装とされるが、現在ではほとんど用いられない。
裃は上着と袴から成る、江戸時代の武士の礼装。そのため「裃を脱ぐ」は、堅苦しい態度をやめて、気楽に打ち解けることを意味する。
反対に、「裃を着る」ことは礼儀正しいことを意味する。
固い石にさらに堅苦しい礼服の裃を着せたようだということで、謹厳で堅苦しい人のたとえ。また、その様子。
役人でありながら、私腹を肥やす者のことをいう。役職を利用して、私利をむさぼる者のこと。
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]]>なので、時代ごとに見ていきます。
「小袖」の呼び方は、大袖(束帯や狩衣など)や広袖(袿(ウチギ)など)に対して、袖が小さかったことに由来します。
男女ともに、下着だったものが上着化し、表着の形式が小袖に統一されました。
武士の台頭により、徐々に小袖が表着化
・武士
盤首(あげくび)衣装:公家の形式的
↓
垂領(たりくび)の直垂(ひたたれ)、素襖(すおう):行動的な衣服を公的なものに昇格。
・武家女性
留袖(袖口を小さく綴じたもの)で詰袖(袖丈を詰めたもの)の小袖を数枚重ね着+その上に外衣を羽織って略式礼装。
男女ともに、普段は外衣を着けずにいることが多くなる
↓
しだいに下衣であった小袖のみが表面に現れる
↓
小袖に外衣としての装飾が施されるようになる
全ての階層で小袖が表着になる。
〈 婆娑羅(ばさら)〉
室町後期の下克上の時代、武士が吉祥文様を施した華やかな晴れ着の胴服や小袖を競って身に付けたこと。
更に、胴服や打掛を略する風潮が強くなり、男女ともに模様小袖が当たり前のものとして台頭する。
[きもの文化検定3級]
室町後期の下克上の時代、武士が吉祥文様を施した華やかな晴れ着の胴服や小袖を競って身に付けたことを何というか?
(1) 襲着
(2) 萬蔵
(3) 下克上
(4) 婆娑羅
◆解答 (4)婆娑羅
◆参照 公式教本1 80頁
下衣だった小袖があらゆる階級を通じて外衣化。
小袖の形:旧態の寸胴型で胴回りが広く、裾が短く、袖丈・袖幅も極めて短い形のまま。
外出時:小袖の上に、同じ形態の単衣を外衣代わりに被衣(かつぎ)と称して頭上に担ぐ。
打掛の下から覗く首回りと肩や前裾部分に重きを置いた模様。
全体を背縫いとそれに直交する直線で区切った形式。
区画の数で「四替り」「八替り」などと呼んだ。
[きもの文化検定3級]
小袖を外衣として着ることが広まった時代は?
(1) 奈良時代~平安時代
(2) 平安時代~鎌倉時代
(3) 戦国時代~織豊時代
(4) 江戸時代~明治時代
◆解答 (3) 戦国時代~織豊時代
◆解説
・戦国時代
室町時代の1467年(応仁の乱)~1573年(織田信長が足利義明を追放)
・織豊時代(しょくほうじだい)
安土桃山時代は、日本の歴史において、織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代。2人の名前を取って織豊時代ともいう。
・江戸時代初期
衣服の制に厳しい統制は無い。
男女とも小袖を着用するので、差別化のため女性の小袖意匠は優美華麗に変化。
絞り染めによって地を、紅や黒紅、白に複雑に染め分け、山水花鳥など様々な文様を、刺繍や鹿の子絞り、摺箔などで表現。
地が見えなくなるなるほど密に装飾を施すものは、「地無し小袖」とも言われる。
寛文年間(1661~1673)を中心に、武家・町人にかかわらず大流行。
余白を十分にとって、自己主張の強いモチーフを小袖全面に左右非対称に構成する意匠。
技法的には絞り染め、特に鹿の子絞りを多用し、刺繍を併用する。
寛文元年(1661)に東福門院関係の注文手控え帖として描かれた「雁金屋雛形帖」や「新撰御ひいなかた」に収蔵されている小袖模様の多くが、この意匠構成なので「寛文小袖」「寛文模様」と言われるようになった。
元禄期(1688~1704)を中心として隆盛した小袖様式。
技法は、鹿の子絞りと刺繍が主体。
意匠は、左右非対称で自己主張の強い寛文小袖の延長上だが、空間が少なくなり、文様の部分が拡大。
→高度経済成長を遂げた町人たちは、余白の美より華やかな文様を求めたから。
刺繍や鹿の子など豪奢な服が町人の間でも流行
↓
奢侈禁止令(しゃしきんしれい)
例:金糸の使用、刺繍、総鹿子が禁止
↓
友禅染が台頭し始める。→友禅染め
・17世紀後半ごろ
幕府の体制が堅固なものになる。
↓
衣服の制も身分や職種に見合った厳格な体制が確立。
〈武家男子〉
・一般的な礼装:熨斗目(のしめ)小袖に肩衣(かたぎぬ)と袴の裃姿
・平常:無地や縞織の長着+羽織
〈武家女性〉
・礼装:染め模様の小袖+織りや刺繍の打掛姿
〈一般人〉
・模様のない木綿の縞柄などを用いる
〈遊里〉
・武家女性の礼装と同様に華やかな衣装が着用
年中行事や祭礼、社交の場もそれに見合った晴れ衣装が着用される。
武家婦女の奉仕服(城中などでの衣服)や儀礼の社交服が、一般人の儀礼服、社交服の模範とされる。
[きもの文化検定5・4級]
武家の男女が用いて表着化しちゃ小袖のなかでも、肩裾小袖と呼ばれるものは?
(1) 肩部と前裾に重きを置いて模様を施したもの
(2) 肩と裾には模様が施されていないもの
(3) 肩部と裾部の色が異なるもの
(4) 右身頃と左身頃で模様が異なるもの
◆解答 (1)
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]]>The post きものの文様〈車〉 first appeared on 着物の世界を旅する勉強サイト.
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]]>釘が刺さってた!!
ランフラットタイヤ(←初めて知った)だったので、とりあえず走れました。
が、ガソリンスタンドでは修理できないタイヤらしい、、、。
車の担当者さんに電話するも定休日。
ガソリンスタンドの方が、応急処置で無料で空気を入れてくれました。
翌日の早朝と夕方にも空気を入れていただき、修理工場に乗っていくまで、なんとか走れました。
「お客様が安全に運転できればそれでいいんです」なんてイイ人だ♡
人の親切が身に沁みました。
今度から、ここでガソリン入れることにします~☆感謝☆
というわけで、車に関する文様をまとめてみました。
室町~平安時代、さまざまな車文様が登場します♪
平安時代の貴族の乗り物。
牛車(ぎっしゃ)の別称。
江戸時代の能装束や小袖などにも用いられ、現在も留袖や訪問着などの礼装用のきものに用いられる。
御所の風景を表現した御所どき文様や源氏物語絵巻のモチーフとして、牛を除いた御所車が、他の源氏絵や器物を組み合わせて、華やかに描かれる。
牛車が文様化されたのは
・奈良時代に皇族だけの乗り物だったことに由来
・応仁の乱以降に御所の儀式だけに使用されたことに由来
する説がある。
御所車の車輪部分のみを意匠化したもので、車輪文様ともいう。
御所車は、「源氏物語」の世界を象徴する雅なものとして「源氏車」とも呼ばれる。
「源氏」という公家の苗字をつけることで、高貴な文様という意味合いを含めたという説もある。
江戸時代の能装束や小袖には、車輪と草花を組み合わせた文様が多く見られる。
[きもの文化検定3級]
器物文様の「御所車」の別の呼び名は?
(1)花車
(2)錦車
(3)御門車
(4)源氏車
解答 (4)
川につかった車輪を文様化したもの。
牛車の車輪の部分は木製で、乾燥するとひび割れのおそれがあったため、使用しない日が続くときは、車輪を外して川に浸しておく習慣があった。
水面には車輪が半分しか見えないため、この名がついたと言われる。
槌車(つちぐるま)文様ともいう。
水車は電動機などが発達するまでは、脱穀や製糸などに広く使われていた。
現在でも水田の灌漑用に見られる。
水車の形が独特で風情があるため、平安時代頃から工芸品や染織品の文様として用いられてきた。
水車の中でも、水を受ける柄杓(ひしゃく)がついているものは、柄杓が小槌に似ていることから強調されて槌車の文様となった。
織物を織るための糸を、糸車に巻き取る様子を文様化したもの。
源氏車は、平安時代の貴族で、のちに武家の棟梁になった藤原 秀郷(ふじわらのひでさと)の子孫にあたる佐藤氏や、榊原氏の家紋としても、用いられました。
当時の貴族たちは、御所車に豪華な装飾を施し、その美を競いました。
その中でも、伊勢神宮の神官を努めていた榊原氏が奉献品を運ぶために用いた御所車は、たいへんな美しさだったようです。
榊原氏はそれにあやかり家紋に「源氏車」を用いたということです。
また、佐藤氏は、藤原秀衡の命により、源義経に随行し、忠節を尽くした佐藤継信と弟の忠信兄弟が有名。
継信は、壇ノ浦の戦いで義経の身代わりとなり討ち死にしたといわれ、鎌倉時代に編纂された「吾妻鏡(あづまかがみ)」では、
義経が継信の死をたいへん嘆き悲しみ、その亡骸を千株松の根元に葬ったと記されています。
歌舞伎演目の「義経千本桜」で登場する佐藤継信、忠信の衣装には、源氏車文様が多く用いられています。
リズミカルに配された源氏車の文様には、
くるくると回っているような動きが感じられます。
過ぎ行く時をあらわしたものとも、
輪廻転生をあらわすものともいわれています。
一見するとシンプルで単純な文様にも見えますが、
そうした日本ならではの死生観や
貴族文化ならではのロマンが込められているんですね♪
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]]>The post きものの文様〈貝〉 first appeared on 着物の世界を旅する勉強サイト.
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]]>我が家の壁に、大塚美術館で購入した、この絵が飾ってあります。
イタリアの画家、ボッティチェリの「ヴィーナス誕生」。
ヴィーナスが台にしている貝、実は、ほたて貝なんです。
日本のほたて貝と種類は若干違うのですが、地中海の貝で、ジェームズホタテ貝っていうそうです。
あ、きもの文化検定には、おそらく出題されませんね♪
貝は世界各地で生命や豊穣を象徴しています。
日本で文様に用いられる貝は、形や色の美しさから、蛤(はまぐり)、帆立貝、サザエ、ホラ貝などが主流です。
着物や帯にも見られ、貝を単独で表現したものから、数種類を組み合わせた貝尽くしや貝散らし、また海辺の風景文様と組み合わせてあしらわれることもあります。
さまざまな貝を散らした文様のこと。
海辺の風景とともに表現されることもある。
形の違う貝を中心にあしらったものは「貝尽くし」という。
どちらも訪問着や小紋、染め帯などに見られる。
蛤は古くから食用として用いられてきました。
形の美しさから、平安時代には貝合わせの青美に使われ、文様にもなっている。
蛤は、単独で用いられるほか、貝桶のまわりに散らした柄もある。
貝合わせの遊びは、近世では一般的に殻の甲(外側)を上にして並べる。
殻の内側には、合わせやすいように同じ図柄や文様を描いたり、和歌の上の句と下の句をそれぞれに記し、トランプの神経衰弱のように合わせて楽しむもの。
平安時代に貴族たちの間で、珍しい品々を持ち寄って、そのおもしろさを競い合う「物合わせ」の風雅な遊びが流行した。
対の貝の殻を合わせる貝合わせの遊びも、そこから発展したもの。
やがて蛤の殻の内側に絵や和歌を書いておいて、互いを合わせる貝合わせの遊びになった。
二枚貝は殻が決して他の殻と合わないことから、貞操の象徴となり、江戸時代には婚礼調度品として欠かせないものになった。
日本生まれの吉祥文様。
貝合わせの貝を入れる器を貝桶という。
貝合わせは、上流階級の女子の遊びなので、貝を入れる桶も美しいものが用意された。
貝桶は六角形か八角形の縦長の筒型で、足付き。
表面には雅な蒔絵が施されている。
朱色の房付きの紐で結んでおくが、文様にはこの優美な紐が一緒に描かれる。
貝桶は二つで一対のため、きものや帯に描かれる場合も対で描かれる。
[きもの文化検定2級]
次の中で日本生まれの文様は?
(1)鳳凰
(2)松竹梅
(3)貝桶
(4)宝尽くし
◆解答 (3)貝桶
鳳凰、松竹梅、宝尽くしなどは、中国由来の文様。
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]]>目指すは「明月院」!
私は祖母や母の着物をよく着ているのですが、自分の着物も数枚、誂えました。
初めて選んだのは、少し変わった唐草模様で、ろうけつ染めの作家の先生が
「これは、鎌倉の明月院の唐草をモチーフにデザインしたんだよ」
と言われ、いつか鎌倉に行ってみたいなと思っておりました。
念願かなって、明月院に行きました。
リスが木の上を飛び回っている自然豊かな所♪
コロナウイルスのせいで人がおらず、丸窓の部屋も私一人の貸し切り状態。
贅沢な時間を過ごした後、「唐草は?」と受付の人に尋ねるも「そんなものは無い」という返事。
「???」
あきらめて、近くのレストランに入ると、、、
メニューに、4500円と6000円のランチしかない!
出るに出られず、一人、豪華ランチをいただきました。
本当に、本当に、超おいしいフレンチのフルコースでした。
隣の席では、セレブマダムがワインを飲みながらお食事。
私も着物を着てたら、フレンチも似合ってたかも♪
蔓草がからみ合って曲線を描いていく文様。
草だけでなく花や果実をあしらったものもある。
もとはギリシャやローマの連続文様パルメット(棕櫚[しゅろ]の葉をモチーフに考案された唐草文様)から発展したとの説もある。
日本には、中国を経て、古墳時代に渡来。
地を這うように伸びる蔓性の唐草は、強い生命力を発揮すると尊ばれ、蔓を持たない植物(松・菊・梅など)にもアレンジ、発展した。
もっともオーソドックスな唐草模様といえば、風呂敷の柄の唐草。
松と唐草を組み合わせた文様。
松と竹を簡略化して唐草を組み合わせた文様。
葡萄の蔓を唐草文の主軸として、実と葉を組み合わせた文様。
古代中国では、葡萄は柘榴(ざくろ)と共に、たくさんの果実を実らせる豊穣の女神とされた。
日本に伝えられたのは、飛鳥時代。
薬師寺金堂の薬師如来像の台座にも見られる。
正倉院には錦や綾の裂地が残っている。
鳳凰と唐草を組み合わせた吉祥文様のひとつ。
瑞鳥とは鳳凰のこと。
中国の伝説では、鳳凰は天下太平の時にあらわれるめでたい鳥。
日本でも飛鳥時代から文様に使われ始めた。
桐と唐草を組み合わせて文様化したもの。
瑞鳥である鳳凰が棲む木といわれる桐は、古くは天皇にゆかりのある者だけに許された高貴な文様だった。
牡丹は奈良時代に中国から伝えられた。
大輪の牡丹を唐草状にすることで空間を隙間なく埋めることができる。
室町時代に渡来した名物裂の金襴や錦にも使われている。
菊を中心に唐草を組み合わせた文様。
鎌倉時代の工芸品や、その後の能装束や名物裂にも見られる。
江戸時代以降は、藍型染めの木綿地にも使われ、普段着の着物や布団地にも用いられた。
鉄線の花と唐草を組み合わせたもの。
鉄線の蔓は鉄のように堅いので、固い結びつきを願って花嫁衣装や訪問着などに用いられる。
宝相とは宝相華のこと。
花の美しい部分を取り出して作った中国生まれの空想上の花。
線ではなく模様で段模様を表したもの。
横段を単独で用いたものと、他の文様と組み合わせたものがある。
おいしいランチを食べたため、帰りは違う道を通って北鎌倉の駅に向かいました。
途中、立派なお寺があったので立ち寄りました。
「東慶寺」
駆け込み寺だったそうです。
女性の側から離婚できなかった封建時代、このお寺に駆け込めば離縁できる女人救済のお寺として、明治に至るまでの600年間、縁切寺法を守ってきたそうです。
そこのギフトコーナーで見つけました。
東慶寺に伝わる蒔絵からデザインした和紙グッズ。
コロナウイルスのせいで他に誰もいない店内で、じっと和紙を見ていた私に受付の方が説明してくださいました。
「葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱(ぶどうまきえらでんせいへいばこ)」
キリスト教の儀式で使うパンの入れ物だそうです。
ヨーロッパへの輸出向けに作られたので、日本にはあまり残っていないそうです。
重要文化財なので、見せていただけませんでしたが、写真をいただきました。
この蒔絵からデザインした唐草模様の和紙だそうです。
というわけで、私の着物の柄のルーツも無事、見つかりました~♪
思い返すと、高級フレンチを食べなかったら、この道を通らなかったので、きっと意味があったのかも!?
実は、最初に行こうと思ってリサーチしていたレストランは台風のため改修中だったんです。
なんだか、導かれたような気がする☆
素敵な出会いに感謝です。
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]]>ほとんど同じですが、ちょっとだけ違うんですね♪
*男性用と違うのは「身八ツ口」があること。
[5・4級]
女性の羽織にはあり、男性の羽織にはない部位は?
(1) 返し
(2) 身八ツ口
(3) 乳下がり
(4) まち
◆解答 (2)
◆参照 公式教本1 153頁
◆解説
・返し:裾で後身頃を引き返して、内側に折り込んだ部分。
・乳下がり:肩山から羽織の紐をを付ける乳(ち)の位置までの長さ。
・まち:羽織の前後の身頃の間につける布。
・身八ツ口:身頃の脇の開き。着物も羽織も、女性にだけある。
[5・4級]
羽織紐を羽織に付けるために設けられた、羽織のある部分の名称は?
(1)口
(2)輪
(3)鐶(かん)
(4)乳(ち)
◆解答
(4)乳
◆参照 公式教本1 153頁
◆解説
・輪:羽織紐の輪っかになった部分
・鐶:羽織紐に付けてある金属の輪
・乳:羽織紐を通すために、羽織の衿に付けてある小さい輪
[3級]
男性の羽織について誤っているものは?
(1)袖無しのカジュアルな羽織もある。
(2)額裏という絵画的な模様を付けることもある。
(3)男性の羽織は襠(まち)がない。
(4)羽織と袴を付けないことを「着流し」という。
◆解答 :(3)
◆参照 公式教本1 48~57、153頁
◆解説
男性の羽織にも「まち」がある。
コートの衿には色々な種類があります。
詳しくは →〈羽織・コート〉きもの文化検定に使える衿型暗記法
[2級]
羽織にあって、道行コートにないものは?
◆解答
・まち
・乳
・乳下がり
◆参照 公式教本1 153、154頁
◆解説
・まち:羽織の前後の身頃の間につける布。
・乳:羽織紐を通すために衿に付けてある、小さい輪。
・乳下がり:肩山から羽織の紐を付ける乳(ち)の位置までの長さ。
ちなみに、羽織にもコートにも両方あるのは、身八ツ口、羽裏、返しなどです。
着物の裏地の付け方の一つ。
主に男物の羽織裏(羽裏)に使われる贅沢な仕立て方。
額面のように花鳥・山水風景・人物・竜などの動物等を染めたり織ったりして羽裏を使って仕立てたものや又はその生地。
余談ですが、額仕立て裏と言う意味で着物の褄先の角などがかさばらないように
角を額縁のように仕立てることも「額裏」といいます。
[1級]
羽裏と額裏の違いについて説明せよ。
◆解答
羽裏とは、袷の羽織の裏地の総称であるが、額裏とは特に男物の裏地で一枚の絵画風に描かれた布、及びその仕立てのことである。
羽織やコートの名称に関する問題も数多く出題されていますので、名前と場所もしっかり覚えておいてくださいね。
「返し」や「羽裏」は、色々な級で出題されています。
羽織の「乳」と「乳下がり」、
コートの「小衿」と「竪衿下がり」「竪衿幅」の場所など、
「~下がり」は、縦
「~幅」は、横
というルールも知っておくと着物の「衽下がり」「揚げ下がり」など覚えやすいです。
効率的に暗記できると良いですね!
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