結婚後30年以上ヨーロッパに住んでいる日本人女性の方にご自宅に招待されました。
「うちの和牛を焼くだけで、たいしたご馳走は出せないけど・・・」
と言われました(^^♪



◇第273号
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回の復習

〈紋〉
・染め抜き日向紋
・染め抜き中陰紋
・染め抜き陰紋

〈武田信玄が使用した家紋〉
武田菱(四割菱よつわりびし)





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[きもの文化検定3級]
生糸の太さを表す単位を「デニール(d)」で表し、1gあたり(   )mの太さを1デニールという。
(1)900
(2)2,700
(3)9,000
(4)27,000

◆解答 (3)9,000m



◆参照  公式教本2  81頁





[きもの文化検定1級]
江戸時代、特定の商人に生糸を輸入する特権が与えられていた。この権利を示す証札は?




◆解答 
糸割符(いとわっぷ)



◆解説
糸割符とは、輸入生糸の専売特権の証札のこと。

『ポルトガルが、中国産の生糸(白糸)を長崎に運んで、巨利を得てきたことに対し、江戸幕府は1604(慶長9)年に生糸価格の抑制と商人統制のため、糸割符制度を設け、京都・長崎・堺の有力商人を糸割符仲間とし、輸入生糸を一括購入させた。1655(明暦元)年に廃止、1685(貞享2)年に復活し幕末まで続いた。』



よくわからないので、歴史苦手な私のレベルで説明してみます・・・。

【時代背景:江戸時代】
生糸は中国マカオで生産されていたけど、豊臣秀吉の朝鮮出兵の影響で、中国との国交が断絶していたため、日本は中国と直接に貿易ができなくて、日本はポルトガルの仲介により、マカオの生糸を輸入していた。

そのため、生糸の値段をポルトガル商人が決定し、高額な値段の生糸を日本に売り、利益を出していた。





ってことで、貿易で利益を得たい江戸幕府は対策をしました。それが糸割符制度(1604年)

これは、特定の商人がグループ(糸割符仲間)を作って、そのグループが一括して生糸を買う制度。こうすることで、「この値段じゃなきゃ生糸は買いませーん!」ってみんなで言うことができて、ポルトガルが生糸を高い値段で売りにくくなる。

ポルトガル商人は値段を下げざるを得ない。

この制度では、外国から持ち込まれた生糸を買うことができるのは、糸割符仲間に指定された限られた商人だけで、その商人が価格を自分たちで決めて一括購入をし、その後に一般の商人に売り渡す
糸割符仲間は最初は京都、堺、長崎の3都市の商人、のちに江戸と大坂の商人が加わり「五カ所商人」とよばれた。

生糸を買うことができるのは糸割符仲間だけであるから、高値で売って、かれらは大きな利益を上げることができた。幕府はかれらから十分に税金を吸い取って利益を得る。

外国側にとっては日本商人が決めた額で売らなければならないから不満がつのる。
そのため糸割符制度はいったん停止されたが、再び復活した。
しかし日本国内での生糸の生産力があがるにつれ、この制度の必要性も低くなっていった。

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「和牛」だけでご馳走ですけど、
「うちの和牛って・・・?」

なんと教師だった御主人の趣味で飼い始めた1頭の牛が増えて、今は24頭いるそうです。

牛小屋も建てて、もはや本業のようでした。
牧草地に放し飼いだから、全く大変じゃないよ~。
と言われてましたが。

そんなもんなのかな(^^♪

美味しく頂きました。

郊外の田舎の風景!!
青い空に流れる白い雲、
森のそばにある、ゆるやかな丘に広がる黄金の小麦畑。

彼女の家にはウクライナからの避難家族が仮住まいしています。
そんな現実が信じられないくらい、
のどかで、平和で、幸せな風景で、
時間が止まったようでした。

安倍元首相の事件にも驚きました。

世界がより良くなりますように・・・。



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