いつも着物ではない方も皆さん、お着物で来られていて、やはり素敵な雰囲気でした。季節のお花や、干支のネズミの香合(お香の入れ物)が可愛かったり、新しい一年が始まったんだなぁと、あらためて思いました。
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◇第48号 *・・・*・・・*・・・*・・・*・・・*・・・*
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・こはぜを用いるようになったのは、江戸時代の元禄年間
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・こはぜは一般的に3~4枚。(5~6枚の物もある)
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江戸時代は庶民が身に付けられる衣類の色や素材に制限があった。その制限の中で庶民は渋い色調に美を見出し、おしゃれを楽しんだ。その地味な色調に微妙な差異と美を見出したことを、数字を用いて例えた言葉は?
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江戸時代後期、町人や商人は徐々に生活が豊かになってきて、贅沢になってきたので、「庶民は贅沢は駄目、質素に」と、幕府のお偉い方は考えて、贅沢禁止法、いわゆる奢侈禁止令(しゃしきんしれい)を発令しました。
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しかし他の人とは違うものを着たいと言う欲求は今も昔も変わらないので、職人さんが試行錯誤して色の中に微妙な色調を工夫して着物を染め上げ、多くのお洒落な庶民達の欲求で生まれたのが「四十八茶百鼠」という色合いです。
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江戸茶、利休茶、路考茶、団十郎茶、芝翫茶、媚茶、樺茶、
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素鼠、茶鼠、銀鼠、梅鼠、利休鼠、深川鼠、鳩羽鼠、など。
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「四十八茶百鼠」の四十八や百は色数ではなく、多色という意味です。
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茶系の色では、歌舞伎役者から名が取られたものが有名。例えば、「団十郎茶」は市川団十郎が代々用いている色で、現代でも襲名披露などでこの色の裃(かみしも)が使われるそうです。
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「利休茶」「利休鼠」という色は、「利休」が入っていますが、千利休が好んで用いていた色というのではなく、江戸の人たちが緑っぽい色から抹茶を想像したのか、何となく「利休っぽい」ってことで色名をつけたという説が有力のようです。
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日本人は色彩を分析し見分ける能力が世界でもトップクラスだそうです。当時より日本人はそれだけ色を見分ける力があったと言う事ですね。すごい!!
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