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きもの文化検定

裃(かみしも)は現代のスーツ!

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裃(かみしも)とは、本来、

・上半身にまとう上衣

・下半身の袴(はかま)

について、

その生地・色・柄が同じもの、

すなわち、今で言う「スーツ」の意味。

 

上(肩衣)と下(袴)を一揃いの物として作る衣服であることが命名の起源。

 

肩衣袴(かたぎぬばかま)だけでなく、直垂(ひたたれ)や素襖(すおう)などにも上下の着装があった。

しかし、江戸時代には日常的に上下で着用する衣服が、事実上は肩衣袴だけになってしまったため、裃は肩衣袴を指す言葉となる。

 

裃は「肩衣」(かたぎぬ)という上半身に着る袖の無い上衣と、「袴」の組合せで成り立ち、それらを小袖の上から着る。

肩衣の背と両胸、袴の腰板の四か所に紋を入れている。

 

時代による変化

 

桃山時代~江戸時代初期

・肩衣は、素襖と同じく襟を斜めに重ねて着装。

・素襖に準じた紋の据え方で、計6個

   (1)背紋
   (2)両胸
   (2)袴の合引(あいびき:両脇の前後を縫い合わせた部分)
   (1)背面の腰板

 

17世紀半ば~

・肩衣の襟は、平行に袴に差し入れる。

・素襖に準じていた紋の据え方も、袴の合引の紋を省略し、計4個となる。

 

[きもの文化検定1級]

 近代以降、裃に紋はいくつ付いているか?

◆解答 : 4個

 

 

江戸中期

・肩幅が広がり、鯨のひげを入れて肩先を強く張らせたり、糊を強くする。

 

幕末

裃に代えて羽織袴を平常服とすることになり、慶応3年(1867年)の大政奉還以後、公人が裃を着用することは廃され、男性の礼装は紋付・羽織袴となる。

伝統芸能や祭礼などの民間の諸行事においては現在でも用いられている。

 

 

江戸時代の裃 三種類

江戸時代になると、肩衣袴は、肩の張りが強くなり、小紋の柄も細密になって、武家の威儀を整えていく。

 

 

長裃(ながかみしも)

・肩衣+長袴

・お目見え以上の直垂、大紋に準じる礼装。・半裃よりさらに鄭重な礼装。

・裃の袴を、通常のもの(半裃)の1.5倍程度に丈を伸ばし、足を出さずに穿いて裾を引くようにしたもの。

 なお歌舞伎の舞台衣装などに用いられる際は、袴の丈が見栄えの点から2倍ほどもあるものが使われる。

 

半裃(はんかみしも)

・肩衣+切袴

・長裃に対して、袴が通常の丈であることが名前の由来。

・お目見え以上の公服。

・下級武士や町人には礼装としても用いられた。

 

継裃(つぎかみしも)

・肩衣+袴 → 色柄の違う組合せのもの

・袴は半裃と同様、通常の丈

・当初、平服であったが、江戸後期には使用範囲拡大して、公服としても用いられるようになった。

 半裃よりさらに略式の礼装とされるが、現在ではほとんど用いられない。

 

 

おまけ ~裃のことわざ~

 

裃(かみしも)を脱ぐ

裃は上着と袴から成る、江戸時代の武士の礼装。そのため「裃を脱ぐ」は、堅苦しい態度をやめて、気楽に打ち解けることを意味する。

反対に、「裃を着る」ことは礼儀正しいことを意味する。

 

石に裃

固い石にさらに堅苦しい礼服の裃を着せたようだということで、謹厳で堅苦しい人のたとえ。また、その様子。

 

裃を着た盗人

役人でありながら、私腹を肥やす者のことをいう。役職を利用して、私利をむさぼる者のこと。

 

 

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