「東京」っていうと、ものすっごく都会!なイメージがありますが、
以外に染色も盛んなんですね。
かつては日本染色産業の三大産地として京都、金沢と並ぶほどの規模を誇っていたとか。
はじめは神田、浅草が染色業のさかんな場所だったのが、明治時代以降に水質が悪化。
それで、拠点を上流へと移し、現在の江戸川橋から落合に至る地域が染色の一大生産地になっていったそうです。
染色には、きれいな水って大事なんですね。
というわけで、今回は、東京の染めと織りについて、
「きもの文化検定公式教本2」の「染めと織りの産地」から、まとめてみました。
目次
東京友禅
・東京で染められている手描き友禅。
・江戸友禅ともいう。
・色:藍、茶、白、渋くあっさり。
・模様:細やかで小さめ、粋、モダン。
・制作工程:一人の模様師(友禅師)が、構図、下絵、糸目糊置、色挿しを行う。
[きもの文化検定3級]
各産地の友禅染について正しいものは?
(1) 東京友禅は、単色染なのが特徴である。
(2) 京友禅では、通常、刺繍や金箔の加飾は使わない。
(3) 加賀友禅の基本色は、赤、黄、青、紫、緑、墨の六色。
(4) 加賀友禅と東京友禅は、下絵から色挿しまで一つの工房で行うことが多い。
解答 (4)
昭和55年(1980年)・・・経済産業大臣(当時:通商産業大臣)に伝統工芸品として指定を受ける。
・糸目友禅(手描き友禅挿し)
・蝋纈染
・無線友禅(糊糸目を使わずに生地に直接絵筆で絵柄を描き、彩色する技法)
[きもの文化検定1級]
昭和55年(1980年)経済産業大臣(当時:通商産業大臣)に伝統工芸品として指定を受けた「東京手描友禅」の技法は大別して三通りあります。その技法は糸目友禅(手描き友禅挿し)と蝋纈染ですが残りの技法は?
◆解答
無線友禅
長板中形(ながいたちゅうがた)
・江戸時代から続く伝統的なゆかたの染色技法。
・江戸で生まれたので「江戸中型」ともいう。
・両面同板染…染料に何度も浸す「浸け染め」なので、両面に糊を置く。
染色方法
6.5mの長い板に白生地を張る
↓
型紙を置いてヘラで防染糊を置く
↓
乾かし、生地の裏にも表の模様とぴったり重なるように糊を置く
↓
浸け染
[きもの文化検定3級]
長板中形の地色の染色法は?
(1) しごき染
(2) 引染
(3) 摺染
(4) 浸け染
解答 (4)
注染ゆかた(静岡・東京・大阪)
・「注染」は現在もっとも一般的な浴衣の染色方法。
・布の上に染料を注いで染める多色染の技法。
・明治時代末期に大阪で生まれ、「注染中形」「手拭中形」ともいう。
・静岡では「浜松注染」ともいう。
染色方法
長さ1mの型紙を生地の上に置いて防染糊を前面に塗布し作業の度に生地をたたみ返す
↓
24枚または48枚に重ね合わされた生地の上に、模様の色が混ざらないように防染糊で堰を作る
↓
色ごとに染料を注ぎ込む
↓
布下の真空ポンプで染料を吸引することで、布下まで染料が染み透る
染色技法
・一色染・・・伝統的な紺白ゆかた。
・差分(さしわけ)染・・・カラフルなゆかた。
・細川染・・・2~3枚の型紙を使って、差分染を繰返して繊細な模様を染める。
[きもの文化検定3級]
裏表が同じように染まっている染色品は?
(1) 注染ゆかた
(2) 加賀友禅
(3) 江戸小紋
(4) 紅型
解答 (1)
東京染小紋
・東京で染められている型染小紋の総称。
・代表は、「東京おしゃれ小紋」と「江戸小紋」。
・「しごき」という技法で、片面だけ糊防染し、地色を染める。
・型紙:美濃和紙を3枚重ねて柿渋で貼り合わせ、錐で模様を彫ったもので、「伊勢型」と呼ばれる。
・留柄(とめがら)・・・武家ごとに定められて、裃に用いられていた柄。
江戸小紋三役:鮫・行儀・角通し
・江戸小紋という名称・・・昭和30年、小宮康助を重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定する時に他の小紋と区別するために使われるようになった。
[きもの文化検定3級]
しごき染について正しいものは?
(1) 地色を浸染技法で染織する。
(2) 伸子で生地を張り、糊を含まない染液を刷毛で塗布する。
(3) ヘラでしごいた片面のみ染着する。
(4) 霧吹きでぼかしながら染液を塗布する。
解答 (3)
[きもの文化検定3級]
江戸小紋について正しいものは?
(1) 型紙は和紙をふのりで張り合わせたものを用いる。
(2) 江戸小紋という呼び方は江戸時代に生まれた。
(3) 大名家ごとに裃用に定めた柄があった。
(4) 「鮫」「行儀」「枡通し」の3種の柄を「江戸小紋三役」という。
解答 (3)
解説:(1)美濃和紙を柿渋で貼る。
(2)江戸小紋の呼び名は昭和から。
(4)枡通しではなく、角通し。
☆ 東京染小紋の歴史 ☆
小紋は室町時代に始まり、江戸時代初期に武士の裃(かみしも)に染められるようになったことで、大きく発展しました。
当時の江戸には、各地域から大名が訪れた時用に大名ごとの屋敷があったため、多くの武士が集まる様になり裃の需要も増えたと言われています。
合わせて、江戸には小紋を染める過程で大量に必要になってくる「きれいな水」として神田川が流れていたので、多くの染め屋が集まり、現在の東京染めが発展しました。
はじめは裃だけの小紋染でしたが、江戸時代中頃から小紋染は庶民にも浸透し、着物や羽織等に染められるようになりました。
しかし、明治時代の初めに下された断髪令や、洋服が入ってきたことにより男性の小紋の需要は大幅に減りました。
一方で女性の小紋染は、江戸中期にインド更紗の影響を受けた日本独自の更紗染もはじまり、明治中頃には草花模様の訪問着などもできました。
こうして、一色染めの東京染小紋に色鮮やかな江戸更紗なども加わり、現代に受け継がれてきたんですね。